犬種の特徴は、
血統書発行団体の規定に沿った内容です。

毛色等はその種に認められた規定になります。
体高、体重などは基本的なサイズとして規定に近いほどスタンダードに近いと言えますが、
近年の平均的なサイズを表しているものではありません。

家庭で飼われている犬・猫のサイズが、
規定より大きすぎる場合や、又は、小さすぎる場合、
それが健康に大きく影響を与えるものではありません。

犬のサイズに関係なく、健康管理は飼われる方の、
日頃から愛情持って接することで、体調の変化などに、
素早く気づき、対応していただくことが、何よりも重要です。

 

日本テリア


「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より(   最終更新 2011年11月13日 (日) 12:53   )

 

日本テリア(にほんテリア)は、日本原産の犬の1品種。家庭犬として作出された、非常に被毛の短いトイ・テリアで、日本原産犬種としては唯一のテリアでもある。

歴史 :

系統は、具体的には不分明。1700年代に、オランダから長崎に渡来したスムース・フォックス・テリアを祖として小型の在来犬を配し、後に神戸で改良したものであるという。

ただし、スムース・フォックス・テリア自体、犬種としての固定は1862年ごろまで下るので、伝えられる年代が正しいとすれば、厳密にはスムース・フォックス・テリアではなく、その原種犬が日本テリアの先祖ということになる。

ほかに、トイ・マンチェスター・テリア、イタリアン・グレーハウンド、トイ・ブル・テリアなどの血が入っているのではないかとも考えられる。

主に神戸で、抱き犬としてかわいがられ、「神戸テリア」「お雪テリア」「ミカド・テリア」などの愛称で親しまれた。「お雪テリア Oyuki terrier」の名は、アメリカの大財閥であるモルガン家の御曹司と結婚して有名になった女性(モルガンお雪)の名によるもので、彼女はこの犬のファンであったという。

1920年ごろから計画繁殖が行われ、1930年ごろ(昭和初期)にタイプが固定された。1930~32年には日本テリア・ブームが起こったが、特に1932年(昭和7年)にはブームが爆発し、日本テリアの繁殖や売買譲渡が投機化するに至った。しかし、この年に大阪で組織された「日本テリア倶楽部」を筆頭に、研究団体が全国に次々に樹立されると、これらが互いに連繋して、さらなる固定洗練への堅実な努力が積まれるようになった。

不運なことに、日本テリアの隆盛は、太平洋戦争の開戦によって終止符を打たれた。戦時中は、軍用犬を除く他の全ての犬種と同じく、日本テリアの数も激減した。絶滅のおそれもあったが、戦後、愛好家の努力によって甦ることができた。

愛玩犬として、日本テリアは現在も、熱烈な愛好者をもつ。しかし、戦前のような幅広い人気が回復することはなく、日本原産犬としては、最も知名度の低いものの1つにとどまっている。そのため、数も比較的少なく、絶滅を危ぶむ声もある。

ジャパンケネルクラブの2009年出産登録数は約40頭と、年々減少の傾向を辿っている。